本論に入る前にちょっと。
開高健は僕の好きな作家のひとりで、ほとんど読破しているし、全部ではないが所有もしている。大好きな作家だ。いまだに読み返したりしている。彼は、ベトナム戦争時に新聞社の臨時特派員としてサイゴンに行き、後に『ベトナム戦記』を発表。ジャングルの湿気、荒い呼吸、機銃掃射に遭遇したときの緊張感、身体じゅうにまとわりつく汗の匂いまでがリアルに伝わってくる。これは彼が実際に遭遇した反政府ゲリラからの攻撃だが、200名いたうちの生き残った17名の中の一人だったというからあまりに壮絶で悲惨だ。そのあと、『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇(未完)』と3部作を出す。まだ読んだことがない方はぜひとも読んで欲しい。僕がいうのも烏滸がましいが、彼の文章力、語彙力には驚くばかりなのである。読む時は必ず日暮里あたりにある純喫茶できちんと姿勢を正して読むように。
しかし、彼をイメージする際にもっとも有名なのは「釣り」だ。世界中を釣行、さまざまな魚を釣り上げる。僕は大学生のころ、『フィッシュ・オン』『オーパ』などを食い入るようにに貪り読んだ。僕がオレゴンに住んでいた頃、アラスカでのシルバーサーモン釣行、はたまたオヒョウを釣ったとき、彼の本を思い出したもんです。
そこでだ、なんで開高健かといいますと、彼の碑が銀山平にあるのです。あるのですというか、今回初めて訪れたのです。なんで今まで行かなかったのかというと、この銀山平のある奥只見は秘境というか、しょっちゅう土砂崩れなんかあるところで、なにか遠い存在のような気がしていたからか、ついぞ今まで行ってなかった。でも心の片隅にいつも引っかかっていた。で、今回は思い切って行ったわけなのさ。

トンネルがすごい、長い、ガタガタ
奥只見へは小出奥只見線の「奥只見シルバーライン」を通ることになるが、これが想像以上に過酷。全長22km(トンネルは18km)、延々と続く薄暗く狭いガタガタ道を運転していく。写真だと明るいが実際はかなり暗く、眼の感覚がおかしくなってくる。運転好きの妻もさすがに飽きてきて、途中で運転を代わってくれと言ってきたほど延々と続き、一瞬「これって出口あるのか」と不安になってくる。なにか永久にでれないのか!というSFチックな感覚も湧いてくる。

なんと外気温14℃!エアコンがONなのは窓を開けるとうるさいからだ。
この道路の開通は昭和32年。もともとは電源開発にともなうダム建設のため資材運搬ルート。壁面はゴツゴツの剥き出しだが、当時は重機がなかったのでダイナマイトで崩し、その崩れた岩を人力で搬出するという気の遠くなるような手掘り工事だったからだそうだ。ちなみにダムそばのドライブインに資料が展示してあったが、作業員のほとんどは囚人だったそうで、囚人だからといって特にトラブルもなく一生懸命に働いたとのこと。当然、ダイナマイトで掘り進むので崩落があり死者も出ている。しかも冬なんか氷点下20℃以下での作業。そんなことを考えながらトンネルを運転すると恐怖心もあるが、なんだか申し訳ないような気がしてきた。幼い頃観た、八甲田山の映画を思い出した。
この秘境の歴史を紐解くと奥が深く面白い。奥只見ダムの湖底に水没しているのは銀の採掘所として1641年から1860年(万延元年)まで栄えた街並みだ。最盛期には民家1000軒、お寺が3軒の鉱山町だったそうだ。だからこの奥只見一体を「銀山平」と呼ぶ、と今更ながらに理解した。だから「銀山平に釣り行きたいねー」なんて軽々しく言ってはいけないのだ。きちんと先人たちの慰霊と偉業を胸に刻みつつ理解し得るものだけが立ち入ってよい聖域なのだと強く思った。
このシルバーラインの途中に檜枝岐に抜ける分岐がある。今回の目的は二つ、一つは開高健の碑に会いにいく。もう一つは周辺の川の調査。暗くて狭〜いトンネルを抜けると、素晴らしい景色が広がる。あー俺は生きていた!と実感する(大袈裟か)。ちなみに、トンネルを出るとけっこう暑い。

石抱橋からブナに囲まれた北ノ又川の絶景!この橋を渡ったすぐのところに碑がある。ちなみにここから上流は禁漁。

長年想っていたこの碑にやっと出会えて、ひとり感動していた。頬ずりしようかと思ったがやめて、手でスリスリしておいた。
開高健は1970年に『夏の闇』を執筆するために銀山平に滞在していた。おそらく想像するに執筆に疲れたらルアーを引っ張ってたんでしょうね。当時はほとんど手付かずの秘境だったから巨大な岩魚が釣れたと想像する。
日本人の釣りに対するメンタリティは独特で、どうしてもキャッチアンドリリースが定着しない。かくいうこの銀山も乱獲で岩魚が激減。そこで彼は「奥只見の魚を育てる会」を1975年に結成、1981年に産卵床保全のため、北ノ又が禁漁になった、という経緯がある。まあ簡単にいうとこうゆうことですね。

橋から下は釣りOKなので、ちょっとやってみたが反応は無かった。景色は最高。
せっかくなので川を見ようと念の為、伝之助小屋で入漁券を購入。檜枝岐(尾瀬)方面へと続く352号を進むが、道幅は狭く、グネグネ道。対向車が気になるのでスピードは出せない。道中、いくつもの橋を渡るがその下は川で湖に流れ込んでいる。釣り人の性か、いちいち下を確認するのでなかなか進まない。でもこれが楽しみのひとつなんだけどね。川まではかなり深い崖になっているところが多くアクセスはないようだが、橋のたもとに車が停まっているところもある。クレイジーな奴がいるなあ。

規模的にはそんなでもないが、こんな川がいたるところから湖に流れ込んでいる。ショートロッドで攻めるにはいいかも。

カーブの連続する道。谷には残雪がちらほら。
ひとまず、恋ノ又川を見てみようと思ったのだがなんと無情にも土砂崩れで通行止め!これで檜枝岐への道は閉ざされたままだ。そこで、手前を流れる比較的広めの川「中ノ又川」を散策することに。川へはゲートがあり施錠されている。まあよくあることですね。ここから歩くことにした。道から川へはかなりの高さがあるので、釣りの支度はせずに途中まで歩いてみようということになった。

がーん!通行止め。台風や大雨の土砂崩れでいまだ復旧してないとのこと。

中ノ又川に続く林道だが、一般車両は入れない。
聞くところによるとこのゲートは、宿に泊まった登山客を乗せる送迎バスは通っていいらしい。我々一般人はここから歩くしかないのだ。ちなみにこのゲートの前に駐車場ではないが、駐車する場所というか広場があり8台くらいは停められるスペースがある。驚いたことに、到着した時には既にたくさんの車が停まっていたから釣り人の執念には頭が下がる。よう、こんな秘境まできてますよね。

橋から銀山湖方面を望む

外気温は結構高いが、こうゆうのあると癒されますよねえ。
林道は送迎バスが通るためか比較的広く、状態がいいので歩きやすい。この写真は川が見えるが、基本的に川沿いは鬱蒼としたブッシュで眼下の川はほとんど見えない。川はかなり下にあり、アクセスが見つからない。途中、釣り人が歩いてきたので聞いてみたところ、かなり上流に行けばアクセスあるよと言われたが、あまりに暑いので途中で引き返した。タックルも車に置いてきたしね。しかもここは完全にウェットゲータースタイルでないと厳しい。ウェーダーだとオーバーヒートして熱中症は免れないと思った。

まあ見えてもこんな感じ。木々の隙間からやっと見える程度。

なんか癒されます。童心に帰った感じ。

落石がやばい!ヘルメットもいるだろうなあ。してても死ぬか。
ところでこの川をネットで検索すると、源流域の沢登りマニアたちに人気があるらしい。大学時代、僕は知り合いの映像制作会社でクルーの一員としてアルバイトをしていたが、黒部川の支流、草薙川でテンカラ釣りの撮影で行ったがあの時が一番ハードだったことを思い出した。いまはもう甘やかしすぎてそんな沢を登る体力はないだろうなあ、なんてこの岩をみて思い出していた。

通行止めになっている橋。これが尾瀬、檜枝岐方面に抜ける唯一の道なのだ。
今回は装備もないのでゲートからほんの少しだけ歩いた散歩程度のものなのだが、次回はぜひとも釣り糸を垂れてみたい。意外にも人が多いので、魚影はそれほど濃くないらしい。場所が場所だけになかなか来れる場所ではないが、ひじょうに興味深い川なのだ。今度はロープやカラビナなどをはじめ万全の体制で臨みます。
帰りは奥只見シルバーラインの突き当たりまでドライブ。これも長い!トンネルを抜けると、そこは奥只見ダム・発電所である。ダムってなんか怖いなあと思う。吸い込まれそうで。ここは観光化されており、銀山湖の遊覧船やらレストランが数件ある。レストランというか、お土産屋さんですね。ここでノンアルを飲む。ドライブするので仕方がないが、最近は諦めたというか慣れたので、キンキンに冷えたノンアルも悪くない。
今回は魚に出会えなかったが、この岩魚たちをしばらくみては、先ほどの川に思いを馳せた。次回はきっと。ちなみにこの岩魚は塩焼きにしてくれますが、岩魚はお刺身が最高だと僕は思うのだ。帰路はまた、暗く長〜いトンネルをガタガタと帰ったのだ。
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