やっと原爆ドームを訪ねることができた

僕が原爆ドームを初めて知ったのが小学生の頃読んだ『はだしのゲン』だ。その時は、何もわかっておらずただただ興味本位や怖いもの見たさで読んでいたと思う。その後、中学生になりヘビーメタルブームがやってきて、僕もなんだかギターを弾くようになった。その時、コピーしていた曲がグラハム・ボネット率いるALCATRAZZの『HIROSHIMA MON AMOUR』だ。この曲は大好きで当時カセットテープだったから切れるまで何度も聴いたことが今となっては懐かしい。その曲はモロ、原爆のことを題材にしており、初めてPVを見た時は衝撃的だった。久々に聴いてみたがヴォーカルとイングウェイの掛け合いがなんとも美しくも残酷さを煽る。今回、広島に用があったので、これは絶好のチャンスだった。

やっと来ることができた、感慨深い。広島駅から歩いたが40分くらいだった。

ドームの真上、600メートル上空で炸裂したそうだ。

あれから随分と年月を経てやっとこの歳になって訪れることができた。これがなんであるかは、日本国民には説明の余地はないので省くが、僕としては目の前にして言葉が出なかった。というかこれを見て、何かを言う、言えるほどの軽いものではなく、なにか虚しさというか、頭の中が真っ白になる。ただ言えることは、恐ろしいほどのパワーがあるということだ。太い鉄の骨組みが曲がっている。当時は、更地にする予定だったそうだが、原爆の恐ろしさを後世に伝えるために保存することになったとのこと。なぜ爆風のなか、残ったのかというと真上で炸裂したからだそうだ。一方、この周りの建物、木々は一瞬にして灰や瓦礫になった。あまりの高温に人々は水を求めて前に川に飛び込み、ほとんどの人はそのまま絶命したという。

この川一面に死体が浮かんでいたとのこと

平日だったためか、目立つのは修学旅行の生徒たちと外国人観光客ばかり。若い世代がここに訪れることはひじょうに意義のあることだし、悲惨さを心に刻んでほしいと願うばかり。

生徒たちがこの塔の周りを囲んで、核兵器廃絶のことを語り合っていた。

ずっと奥に原爆ドームがみえます。

広島平和記念資料館からの景色。前に見えるのは先日のG7で各国首脳が献花をした平和記念公園だ。テレビで見てると大きく見えるが実際は意外とこじんまりしたものだった。公園の塔の下には犠牲者たちが眠っているそうです。ちなみに、G7の時に来ていたらすべて閉鎖されていて何も見ることができなかったよ、と地元のかたに言われた。この資料館も今回の目的に一つである。内容はご想像できると思うのであえて説明しないし、説明しきれないので、行ってない方はぜひ一度行ってみてください。

船は宮島行きの観光船

資料館で原爆投下後のパノラマ写真があるのだが、その写真の中にドームと一緒に倒れずに残っているとりわけ白い鳥居が写っている。後で合成したのか?いやそんなことするはずはないと、ネット検索すると、広島城跡地に鳥居が残っているらしく行ってみた。確認したわけではないのであっているとしたらこの「廣島護國神社」だと思う。この鳥居は恐らく立て直したものだと思うが、当時、鳥居だけ残りあとは完全に焼失したと推測する。

中には立派な神社がある。お城の土地の中にあるというちょっと変わった立地。

中の神社には、鯉が祀ってあり、広島城は別名「鯉城」とも言うらしいです。早速、お守り買ったね。鯉なんて珍しいですよね。よく商売繁盛の縁起物として瀧のぼりなんてあるけど。

歴史ものばかりでちょいと疲れたので、恒例のパタゴニア訪問。地方都市へ行くと必ず店舗を覗く様にしてます。店員さんたちとハワイの話で盛り上がった。ここで「宮島はいきましたか?」と言われたので翌日行こうと思う。

広島の中心地は都会で、原爆に関しての名残というか傷跡はドーム周辺に行くと見ることができるが、そこをちょっと離れるとそういった様子も分からないくらい、いたって普通の街(都会)で、のどかな時が流れているが、あの惨状を思うと、本当にここまで劇的に復興したことは凄く、当時の広島県民の皆さんの復興に対する底力を感じた。まだ行ったことのない方はぜひ、一度、原爆ドームは行ってみることを強くお勧めいたします。かくいう僕もやっと来たわけなので、偉そうなことは言えませんが、しかし、日本人ならば一度は足を運ぶべきだなあと思った次第です。ではまた。

コメント